File.01 山崎直子さん - 宇宙飛行士 -

記念すべき第1回目は宇宙飛行士の山崎直子さん。宇宙飛行士という夢を叶えるため、どのようなご両親のサポートがあったのか。そして宇宙飛行士という職業の、意外な一面とは。さらに今後の宇宙についての可能性など、普段は聞くことができない貴重な内容となっています。

インタビュー動画

一部抜粋しています。是非お子様とご覧ください。

私が興味のある話題には、親も気にかけてくれました。

——将来は先生やディズニーランドのお姉さんになりたいと思っていた山崎さんが、宇宙飛行士を目指したきっかけは何だったんですか?
 

山崎直子(以下、山崎氏):いくつかきっかけがあったんですが、星を観る会に参加したのは、1つの大きなきっかけでした。

 

ちょうどその時は北海道の札幌に住んでいたんです。夏だったと思います。北海道は星がきれいですから、学校のグラウンドで星を観る会を開催しますよという案内があったんです。それで兄と両親と一緒に家族で参加したんです。だから、身近な学校が主催してくれたというのも、きっかけとして大きかったと思います。


——ご両親には他にも色々な経験をさせてもらいましたか?

山崎氏:そのあと生まれ故郷である千葉県の松戸市にまた戻ってきたんですが、翌年くらいに、市民会館に併設する形でプラネタリウムができたんです。それが嬉しくて、家族でよく見に行きました。季節ごとに星座が変わる、そのたびにプログラムが変わっていったので、本当に何度も何度もみんなで見に行って、すごく楽しかったです。
 

学校の理科でも宇宙の事を4年生くらいから習うんですけど、「宇宙って最初はビックバンから始まる。そこからだんだんと星が生まれて、地球ができて、私たちも生まれる。もともと地球も私たちもみんな、宇宙のかけらで出来ているんですよ、みんな星と兄弟なんですよ」ということを知った時に、すごく感動したんですよね。なんか遠いと思っていた宇宙がすごく近いように感じて。しかも当時探査機ボイジャーっていう、NASAの探査機が木星や土星に近づいたりして、そこからすごいキレイな写真を撮っていて。「あ、こんな木星や土星まで実際に探査機がいく時代なんだな」と思いました。でも逆に「まだまだ宇宙は分からないことが多いんだな。むしろ分かっている範囲の方が少ないんだな」とも思いました。
 
当時はまだブラックホールがあるかどうかっていうことも確証がなかったですし、宇宙は真空だって言われているけれども、その間は暗黒物質とか、未だ分からない物質で満たされているんじゃないか、と言われていたりして、分からないということがすごい面白いなと思ったんですね。ダークエネルギーとかね、ありますよね。あれも不思議で、まだ今でも分かってないんですよね。90%以上は、まだ分かっていない物質だったりエネルギーって言われています。不思議ですよね。

あとその少し前から、宇宙戦艦ヤマトとか、銀河鉄道999とかスターウォーズとか、宇宙をテーマにしたアニメやSFの映画が流行っていたので、そういうのにもすごく感化されましたね。でも当時は宇宙飛行士ということが正直よくわからなかったんです。日本人の宇宙飛行士はまだ誰一人いなかったので。だから宇宙飛行士を職業としては考えておらず、自分の将来の仕事という意味では、学校の先生になりたいとか、そろそろ出来ると言われていた東京ディズニーランドで働きたいとか、身近な習字の先生になりたいとか、そうった身の回りの仕事を考えていました。

でもやっぱり宇宙が好きだという思いがあって、宇宙に関する新聞で記事があるとそれを切り抜いたり、親も「こんな記事が載ってるよ」と教えてくれたり、テレビで宇宙の特集があると教えてくれて、見たり。時々博物館に連れて行ってもらったり。興味を持っている宇宙とか科学とかの話題があると、親も気にかけて声を掛けてくれました。

——山崎さんのご両親は、どのような方ですか?


山崎氏:父は自衛官で母は専業主婦でした。父は平日はあまり家にいなかったです。週末も出かけることが多かったので、日頃は母が話し相手でした。


母はどちらかというと、心配症でした。例えば、私がまだ幼稚園生や小学校低学年の小さい時は「動物園行きたい」と言っても「混んでるからね~」とか「ちょっと心配」と言って行かせてくれなかったりしていたんですね。逆に父はどちらかというと「そんなの大丈夫だよ、行こうよ」という形で外に連れ出してくれていて、ちょうどバランスが取れていたのかなという気もします(笑)
 
——宇宙飛行士を目指そうと思った具体的なきっかけはなんですか?

山崎氏:中学校3年生の時だったんですけれども、スペースシャトルのチャレンジャー号が打ち上がる様子をテレビのニュースでたまたま見ていたんですね。その中にはクリスタ・マコーリフさんという女性教師も初めて乗っていたし、日系人のエリソン・オニヅカさんも乗っていたということで、世界が注目していたミッションでした。

ところがテレビを見ていたら、打ち上がって73秒後に爆発してしまいました。最初は何が起こっているか分からなかったんですが、だんだん事態が深刻だということがわかりました。ショッキングだったと同時に、それまでは自分にとって宇宙というのはアニメの中の世界だったり、SFの世界、どこか遠い世界、現実というよりはそういった空想上の世界だったんですけれども、そのチャレンジャー号を通じて実際の宇宙開発を見て、しかも事故があって、そのリアルさを見て、逆にものすごく現実のものとして感じました。
 
宇宙開発というと、子供心にすごく最先端の技術を使って挑戦しているというイメージがあったんですけれども、まだ完璧じゃないんだな、まだ発展途上なんだな、こうやって時には事故があって、これを乗り越えるためにみんなで一生懸命頑張っているんだなというのが逆にすごく印象に残ったんですね。これを機に私も「宇宙開発の分野に携われたらいいな」という思いが大きくなり、その中で機会があったら宇宙飛行士になって宇宙に行けたらいいなと思いました。特にそのマコーリフさんという方が宇宙から授業をしたかったということを話していて、私も先生に憧れていたので、宇宙からそうした授業ができたら素敵だなと思いました。

進路で悩み、留学先ではカルチャーショックを受ける

——宇宙飛行士を目指すと決めた時、ご両親はどのようにサポートしてくれましたか?

山崎氏:宇宙飛行士に応募する前に、大学院の途中でアメリカに留学を1年間したことがあったんです。最初に両親に「留学に行きたいんだけれども」って相談した時は、ものすごく反対されました。それは父からも母からも両方から反対されました。当時は湾岸戦争などもあり、アメリカというと危険じゃないかということで、ものすごく心配されたんですね。最初は「どうしようかな・・・」とこちらも悩んだんですけれども、あまりにいきなりだったのでね、私も親になってみると子供がそんなこと言ったら心配するだろうなと、やっぱり思います(笑)なので時間をかけて、図書館に行ったり、周りの人から色々と情報を集めました。

 

1つは、奨学金を少し頂けるようになったと。もう1つは泊まるわけではないが現地でサポートしてくれるファミリーを探したこと。そうしたことを1年後に再度両親に話をしたら、「そこまで自分で調べて準備したんだったら、じゃあもう行ってこい」という形で背中を押してくれたんですね。そのあと宇宙飛行士に応募するために両親からのコメント欄というものがあって、コメントをもらうための相談をしたら「あ、そう、じゃあがんばってね~」という形でスルッと書いてくれたので、ちょっと拍子抜けをしたくらいです(笑)


ただ、私が訓練中にまた2度目のスペースシャトルの事故があったり、やっぱり親としては色々と心配なこともあったと思います。訓練も日本ではなくて、アメリカやロシアや色んな国を転々としていて、その度に内心は心配していたんじゃないかなと思うんですけれども、そういったことは私にはあまり伝えず、応援してくれたのは有難かったです。

——少し時間を戻しますが、学生時代、進路はどのような判断軸で決めたんですか?
 

山崎氏:そもそもまだ当時は宇宙飛行士というイメージもよくわからなかったんですよね。私が中学校3年生の時、(上述の)チャレンジャー号の事故と同じ年に、初めて日本人宇宙飛行士として、毛利さん、向井さん、土井さんが選ばれたんです。ニュースでやって、「あ、これから日本人も宇宙に行きだすのかなぁ!」ってワクワクしていたんです。しかし、その後も日本人の宇宙飛行士の募集が続くのかは不明でしたし、実際にどうやって宇宙飛行士になるのかというのもよくわからなかったんですよね。今みたいにインターネットもあまり普及していなかったので、募集要項も簡単には入手できず、やっぱりイメージは湧かなかったです。職業としては、私の場合はエンジニアになりたいなと思ったんですが、その間も色々と迷いました、正直(笑)。

と言うのも、中学生の時にアメリカの女の子と、たまたま文通をしていたんです。それでいつかは留学したいなと思っていました。なので海外で働くということにすごく憧れていたんです。当時は情報もよくわからなかったので、海外で働くと言うと、通訳さんだとか、商社の方だとか、あるいは外交官の方とか、そういうイメージが強かったので、そうすると文系の仕事って言うイメージが自分の中で強かったです。一方理系の分野でも宇宙だけではなく、他にも面白い分野があるとも思っていたので、文系と理系どっちにしようかなというところから、高校時代は悩みました。でも最終的には、「星見るのが好きだったな」とか「星見て憧れたな」とか、子供の時の純粋な好奇心が自分の中ではやっぱり強くて、その道でとりあえず自分が納得するまではやってみたいなと思いました。


——留学時代のことを教えてください

山崎氏:20代半ばでしたけれども、私にとって全くはじめての海外だったんですね。本当にもう色々と訳の分からないことだらけで、すごい経験というかショッキングなことも多かったです。その1つが、「やっぱり世界って広いな」と思いましたね。自分が本とかテレビとかでわかっていた気になっている世界というのはすごい小さいなと。世界は自分が思っていたよりも本当にまだまだ大きいし分からないことだらけだなと。あとは自分でも知らないうちに偏見って持っているんだなと。私も留学先で70代のおばあちゃまと出会ったんですが、彼女がヘリコプターのパイロットだったんですよね。当時まだ現役で、「ときどき今でも操縦するのよ、すっごい楽しいのよ」って満面の笑みで話してくれるんですよ。

それを見たときにすごいビックリしたんですね。でもビックリしたと同時に、自分の中でパイロットの人物像は屈強な男性と勝手に思い描いていたことに気がつきました。自分ではあんまりそういった男女のバイアスはないつもりでいましたけど、よく考えると知らないうちに偏見があったのかなぁと気づかされました。あとは、当時は国際人にすごく憧れていたし、なりたいなと思っていました。
 
でも実際に行ってみると、周りの人はからは、「日本てどんな国なの?」「よく聞くけれども歌舞伎って何やるの?」「茶道ってどんなことやるの?」「今の日本てどんなことが課題なの?」とか、自分の国や、自分の故郷、自分の文化のことをよく聞かれたんですが、結構答えられなかったんですよね。日本語でもたぶん答えられなかったんだろなと思うんです。だから「結構自分のことって知らなかったんだな」と、ものすごく恥ずかしい思いをしました。なので国際人という人がいる訳じゃなくって、ちゃんと自分の軸を持っていて、かつ色んな人と一緒に働ける人が国際人なんだろうなということを、ものすごく思いました。
だからまず自分の軸って大事だなと思い知らされましたね。

そして宇宙空間に到達

——宇宙空間に到達した時の感想を教えてください
 

山崎氏:スペースシャトルで打ちあがって、たったの8分30秒で、もう宇宙空間には到達してしまうんですね。あっという間でした。それまでは3Gっていう今の地上の重力の3倍の力でずーっと椅子に押されているので重いんですけれども、エンジンが止まった瞬間、急ブレーキがかかって前につんのめるような感じで、ちょっと一瞬つんのめって、それが落ち着くと、シートベルトをしているんですが、その中でちょっと浮いている感じがしてきます。普段はホコリは床に溜まるんですけれども、その埃が舞い上がるんですね。それが日の光を浴びてキラキラ~と光る様子がすごく幻想的だなというのが第一印象です。シートベルトを外すと自分の体も浮かび上がって、この瞬間、「本当に、やっと宇宙に来たんだ~」っていう想いと、あと、すごく懐かしい気がしたんですね。感じ方は人によって個人差があるんですけれども、すごくこの浮いているこの感覚が懐かしいという感じがしました。

「自分にとっては宇宙がふるさとなんだろうな、そもそも私たちも宇宙のかけらでできているように、遠い存在というよりは本当にふるさとなんだろうな」と。到達すると最初に船長さんが「Welcome to Space!」とみんなに声をかけてくれるんです。やっぱり感動しましたね。シートベルトを外してみんなで最初ハグするんですけれども、その後はすぐ持ち場に散らばるんで、本当に一瞬の感動の抱擁でした(笑)

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